花おっさんの向こう側(3)我が家のプーチン

前回のお話「歪んだリーダーたち」

「我が家のプーチン」(あ、父です。)は

自分の欲求や期待をうちらがちゃんと満たせているあいだは

めちゃめちゃ大事にしてくれたし賞賛してくれたし守ってくれたんよ。

でもその父に迂闊に逆らったり失望させたら

恐怖で気を失うくらいのえげつなさで怒り散らされ

(実際私、何度か気を失ったわ。)

ときには、というか結構な頻度で殴られたわ。

言うても私はまだ可愛がられたほう。

その点、女の子って得やわ。

うちの兄に対してが酷かった。

兄、ちょっと鈍臭かったり、ズレてるところや気の弱いところがあって

父としてはそれがいちいち腹立たしかったみたい。

同じ男やから自分自身を投影してるところもあったんやろね。

自分の鈍臭いところとかズレてるところや弱さを徹底的に嫌って力でねじ伏せて

周りから馬鹿にされへんように

むしろ「すごい」と言わせてやろうと戦ってきた人やから

兄の中にある自分と似た鈍臭さやズレや弱さも

嫌って力でねじ伏せずにはいられなかったんやと今は思う。

しょっちゅうえげつなく怒られて殴られてる兄を

私は小さいころから見てきた。

父が兄についてボロクソに言うのもさんざん聞かされてきた。

「お前はアイツみたいになったらアカン」

父に自分の価値を認めてもらって愛してもらうには

兄と違って優秀で完ぺきで強くならなければならない。

もし母が普通に「お母さん」でいてくれてたら

状況は違ってたかもしれへん。

愛とか承認とかは母に求め

父とは距離を置くこともできたかもしれへんやん。

でも当時の母はいつも陰鬱な表情で不機嫌を撒き散らし

私たち子どもを遠ざけてた。

夜になると自分が経営する割烹のお店に出て

夜中まで帰ってこなかった。

だから家での存在感は薄かった。

後になって知ったけど母もひどく傷ついてたのね

父の横暴さに、そして

何回バレても父が関係を続けてたある女性の存在に。

子どものころは

「お母さんはうちらのこと嫌いなんや。愛してないんや」

って思ってたけどね。

母がいないとなると

父に見捨てられたらこの家で居場所を失うことになるわ。

だから私は父の歓心を買うことに必死やった。

父は外でも同じ調子やった。

自分の期待どおりの人にはすごく面倒見がいいけど

自分に逆らったり意に沿わない人のことは

たとえ親戚であっても

ついこないだまでめちゃめちゃ仲の良かった人であっても

容赦なく叩き潰した。

そしていつも周りの人と競争して勝つことで

自分の力を見せつけることに躍起やった。

どこ行っても喧嘩してた。

(家族旅行先でもホテルの人とか他の観光客とかと

必ず喧嘩するからホンマうんざりやったわ。)

どの人間関係も長く続かへんかった。

ご近所さんからもウチは

怖がられてたおかげで失礼なことはされへんかったけど

腫れ物に触るような感じで距離を取られてた。

いま思えば父は

「人が自分の意向に逆らうことを許したり

周りの人との競争に負けたら

たちまち自分は価値を失いこの世界で存在していけなくなる」

っていう強迫観念みたいなものにいつも駆られてたんやと思う。

そして知らん間に私もそんな父の生き方を真似てたわ。

次回のお話「私もプーチン」

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