花おっさんの向こう側(9)真実の姿

前回のお話「最後に残ったもの」

強くなくても、優秀でなくても、不完全でも、競争なんてしなくても大丈夫

人は誰でもただ存在しているだけで価値があるし愛される

ジュン爺と出会って、心理カウンセリングと出会って、そう信じれるようになったから

私は力を誇示して戦う生き方をやめることができた。

もし父もそう信じて生きれてたとしたら

どんな人生を送ってたかな?

どんな男性になってたかな?

どんなお父さんになってたかな?

そして母は、兄は、妹は、私は、どんな家族になってたかな?

ところで父と連絡を取らなくなってからずっと

クローゼットに閉まったまま見れずにいた写真立てがあるんよ。

この一連の記事を書きながら自分の痛みと向き合って昇華させるうちに

「今なら見れるかな?」

って思ったから今回その写真立てを出してみたわ。

そこに入ってた写真がこれ↓

父と2歳?3歳?くらいのころの私。

そしてカメラを向けてたのはたぶん母なんやろう。

私、父がホンマはすごく優しいこと知ってたわ。

ホンマは私たちのことをもっと愛したかったってことも知ってたわ。

ホンマは喧嘩やお金儲けより

絵を描いたり詩や小説を書いて生きたかったのも知ってたねん。

でもそんな父でも

「優秀でなければ、完ぺきでなければ、強くなければ、競争に勝たなければ

愛される価値も存在価値もない」

っていう価値観の世界では

心がひどく傷つき歪んで暴君になってしまうんよ。

もしプーチンさんが

”存在しているだけで自分には価値があるし愛される”

って信じれてたら

戦争なんてせえへんのとちゃうかな?

「人は誰でもただ存在しているだけで価値があるし愛される」

っていう価値観がもっと広まったなら

自分の力を証明することに固執し暴君化する男性も

自分の不完全さに自信を失い自分の殻にこもる男性もいなくなって

本当の意味で強くてご機嫌で優しい男性が増えるんとちゃうかな?

(自分の弱さの中に入っていけるのが本当の強さよ。)

女性や子どもを傷つける男性もいなくなるわ。

そしたら男性も女性も子どもも幸せに生きられる。

この世界をそっち方向に動かしたいねん。

0.1ミクロンでいい。

私なんてちっぽけやから

出来てもせいぜいそれくらいしか動かせへんやろ。

でもそれくらいでええねん。

私が「花おっさん」でやりたいのはそういうこと。

次回のお話「私がめざす”アート”」

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