究極のエクスタシー
こんにちは〜☆
花おっさん画家の鶴園みあです^^
人はどんなときに究極のエクスタシーを感じるのか
想像したことはありますか?
私たちは肉体を持ってこの世界に生まれた瞬間から
神様とは別個の存在として生きはじめます。
別個の存在ということは
神様の意志に反した行動が取れる存在ということ。
この瞬間から人は「自分は罪深い存在」という罪悪感を
潜在的に持つと言われています。
その後もなんやかんやとやらかしては
罪悪感の上塗りをしながら生きていきます。
そしてそんな人生も最期を迎え
今あの世の入り口で神様と対峙するおっさんが1人。
天国行きか地獄送りか、審判が下されるのを待っています。
「こんな罪深い自分は地獄に堕とされるに違いない!
きっと釜茹での刑に処せられて
永遠に苦しみ抜くことになるんだ!」
おっさんの恐怖と緊張が極限に達したとき
神様がおっさんに向かって言います
「はい、お待たせお待たせ〜。
ほな天国へどうぞ〜」
「え?」
「は?」
「あ、いや、天国へって、あの、よろしいんですか?」
「うん、だからどうぞって言うてるやん」
「え、審判はないんですか?」
「なんで?」
「いや私、いろいろやらかして罪がいっぱいありますやん?
だから地獄送りかな〜って・・・」
「あ〜、なんかここに来る人みんな、そない言うんやけどね
アンタら、ちょっと肉体を持って生まれたからって
”自分は神様と別個で存在してる”って勘違いしてへん?
言うとくけどキミらみんな、いまだにワシの一部でしかないからね。
キミなんか、まだワシの足の小指の爪やで。
そんなキミがワシの意に反して罪なんか犯せますかいな」
「え、私があなたの足の小指の爪?」
「そう!だから無罪!
はい、さっさと天国へどうぞー!
ってかここ、天国しかないねん」
こんな自分はきっと罰せられる、きっと地獄送り、きっと釜茹での刑で永遠に苦しむ
そんな極限の恐怖と緊張が、この瞬間深い安堵に転じ
おっさんは今まで経験したことがないくらいに弛緩します。
そんなこんなで、ここは天国・・・
究極のエクスタシーで恍惚の表情を浮かべるおっさん
釜茹でにされると思っていたおっさんが身を沈めているのは
煮えたぎる熱湯ではなく、いい湯加減の温泉
おっさんの頭で咲き誇る藤の花言葉は
「至福のとき」
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『法悦のおっさん』
The Old Man in Ecstasy
Dec.2024
ベニヤ板(310×310mm)
油絵具
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