私はお花が大嫌いだ(9)自立しすぎた「おっさん」がお花に嫉妬してたというお話
<< 前回【(8)「花は枯れていくからこそ美しい」という言葉の耐えられない薄っぺらさ】はこちら
昔の私がお花が大嫌いやった理由
今日お伝えするのは最後の理由
「そのくせ愛される」
です。
お花は
実用性がないし
手がかかるし
すぐに枯れちゃう
言い換えれば
役に立たんわ
人に負担をかけるわ
何の功績も残せへんわ
っていう存在
私はそういう人間になることをひどく嫌い、恐れ、自分に禁止してた
だってそんな人間になったら
きっとみんなから責められて、嫌われる
って信じてたもん
そしてそんなふうになったときの自分の姿を
お花に投影してひどく嫌ってた。
自分の中でひどく嫌ってたり
恐れてたり禁止しているものを
他者に投影してひどく嫌ってるとき
その他者を心理学では
「シャドウ」って言うねん。
私にとってお花は
まさに「シャドウ」やった。
ところが!
役立たずで手がかかって
すぐ枯れちゃうくせに
お花ってみんなから愛されるよね
なんでやねーん!?
私はずっと
そんな人間になったらきっと嫌われると思って
役に立つ人間にならなきゃ
人の世話にならんよう有能で強い自分にならなきゃ
立派な功績を残せるような優秀な自分にならなきゃ
って頑張ってきたんよ
それやのに
そんなこと全然してへんお花のほうが
みんなから愛されるって
理不尽やん
ずるい!
ってめっちゃムカついてたわ
たぶん私がお花を大嫌いやった
一番の理由はこれやね。
ちょっと前の投稿にも出てきたけど
これってまた嫉妬やん
私、やっぱりお花に嫉妬してたんやね
ここあんまり触れると自分が辛くなるから
これくらいにしとくねーw
ところで
私が描いてる「花おっさん」って
愛されるには
力を見せつけなければいけない
役に立つ人間にならなければいけない
人より優れていなければいけない
って信じて
虚勢を張って競争して
孤独に生きてきた「おっさん」たちが
本当はあるがままでも愛されるんだよっていう「お花」のような生き方を始めたら
世界はもっと平和で優しくなるんじゃない?
っていうのがコンセプトやねん
もうお気づきの方もいるかもやけど
あそこに出てくる「おっさん」って
私自身なんよ。
そんな私が何年もかけて
お花のような生き方を
少しずつ受け入れてる途中やねん
そして
受け入れていくにつれてだんだんと
お花も好きになってきたわ。
あんなにお花が大嫌いだった私が
具体的にどんな流れでお花を大好きになってきたのか
そこもお話ししたいけど
それはまたいつか別の機会に☆
そして次回はようやく
最後のお話
こんなにも自分の古傷(古くない傷もあるなw)をえぐって晒してまで
お花をディスる話を並べてきたのは
今まさに「お花なんて嫌い」って思ってる人たちに
伝えたいことがあったからやねん。
次回はそれをお伝えして
終わりにするねー☆














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