私はお花が大嫌いだ(8)「花は枯れていくからこそ美しい」という言葉の耐えられない薄っぺらさ

<< 前回【(7)枯れていくお花は糠床のキュウリ?】はこちら

■ シリーズ全体の目次はこちら

昔の私がお花が大嫌いやった理由

前回は「すぐ枯れちゃう」についてお話ししたんやけど

今日はこれに関連して

「お花は枯れるからこそ美しい」っていう言葉に

私がずっと前から感じていたことをお話しするね。

「お花は枯れるからこそ美しいんですよ」

っていう人って結構いるやん

私、この言葉を聞いたり見たりするたびに

違和感っていうのかな?

なんか私のハートがスッと冷える感じがするんよ。

「お花は枯れるからこそ美しい」

この捉え方自体はすごく深いわ

そしてそれはそうなんやと思う

永遠に同じはない

移ろいつづけて必ず終わりがあるからこそ

「今この一瞬」の尊さが際立つ

それはお花に限ったことじゃない。

重さが違うように感じるかもやけど

「終わりがあるからこそ人生は美しい」

っていうのにも通じるよね。

人の美意識も時代とともに進化・成長してきたんやと思う

ずっとずっと昔

枯れる花をみんなネガティブにしか捉えれなかった大昔なら

この言葉にはものすごい意外性があったかもしれへん

でも今はもう

あまりにもみんなが言うようになって

意外性も目新しさも感じへん

ある意味「当たり前のこと」になってる

教科書に書かれた「正解」みたいに。

だから聞きたいねん

「お花は枯れるからこそ美しいんだよ」

って言うてるみなさん

ホンマにそう実感したうえで言うてる?

ずっと聞き慣れてて

「これが正解」っていう思い込みがあるから

そない言うてるだけやったりせえへん?

なんでそんなふうに疑うかというと

みんな同じような言葉でしか言わへんねん

自身が実際に体験して感情が動いたことをうかがわせる

生々しい空気が、そこに乗ってないねん

判で押したように

「お花は枯れるからこそ美しいんですよ」

ってそれだけ

だから

「ホンマにそう思ってるん?」

と思って、すんってなる。

「枯れるからこその美」

というか

「終わりがあるからこその美」

って

終わりに向かっていくことの

儚さや悲しみ、寂しさ、切なさ

惨めさ、恐れ、絶望

っていうドロドロしたネガティブなものと

その中で際立つ「美しさ」の組み合わせやん

昨日はそれを

「糠床の中のキュウリ」

って喩えてしまったけども(笑)

もうちょいシュッと表現するなら

「闇」と「光」のコントラストってことやん。

絵画で

「光」をまばゆく表現したければ

「闇」を濃く描くのと同じ

「枯れるからこその美」(光)を真に見るには

「枯れること」に対して自分の中に出てくるいろんなネガティブな感情(闇)を

まずしっかり見る

ちゃんと受け止めて感じきることが

必要なはずやねん

これができるには

ある程度の心の余裕と(やっぱり昔の私には無理やったなw)

感情面での成熟さが必要になってくる

だからもう一回聞くわ

枯れていく花の闇の部分とちゃんと向き合った?

自分の中に出てくるネガティブな感情を、痛みをしっかり感じきれた?

むしろ痛みを感じないために

「お花は枯れるからこそ美しいんだよ!」

ってポジティブな言葉に目を逸らしてるだけやったりせえへん?

ホンマに闇と向き合って、その中に入っていって

突き抜けて光にたどりついたんなら

自分の目でホンマにその美しさを見れたんなら

もっとその人独特の表現や言葉で語られるはずなんよ

でもそんな文章にまだ出会ったことはないわ

そして私もまだ

「枯れるからこそのお花の美しさ」

そして「終わるからこその人生の美しさ」

を本当には見たことがないわ

たぶんまだ

「糠床」の中を突き進んでる途中やね。

今日はここまで

続きはまた次回☆

>> 次回【(9)自立しすぎた「おっさん」がお花に嫉妬してたというお話】はこちら

■ シリーズ全体の目次はこちら

by

    メルマガ「花おっさん通信」

    個展やグッズ販売等、作家の活動についての最新情報をお届けします。
    (月2回程度配信)

    購読(無料です。)されたい方は、こちらからご登録ください↓


    関連記事

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA


    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください