私はお花が大嫌いだ(6)お花は手がかかる「ばっかり」と感じる本当の理由

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昔の私がお花が大嫌いやった理由

今日は「手がかかる」っていう話をするね☆

手がかかるっていうてもさ〜

茎の先をちょこちょこっと切って

花瓶に活けて

あとは毎日お水を換えるだけやん

今なら「どうってことないやん」って思うねん。

でもさあ

いろいろうまくいかなくて

生きるのがしんどいなあっていうときは

自分の身なりを整えたり

ご飯食べたりお風呂入ったり、部屋を片付けたり

生活の必要最小限のことをこなすのだけで精一杯で

お花のお水を換えるっていう

そんな気持ちの余裕なんてなかったわ

ってか、今でもメンタルが超絶不調になったら

お水換えるのができなくなるもん。

もちろん

お花って手がかかるばっかりじゃないわ

毎日触れたり見てるだけで

癒やしをくれて

私の心をほぐしてくれる

・・・って今の私なら感じれる

でも、昔の私にそれは無理やった。

人ってね

ストレスを抱えながらストイックに頑張りすぎてると

美しさとか、心地よさとか、優しさとか

そういうものを受け取るアンテナが麻痺するみたいやねん

毎日口にするお茶の香り、ご飯の味

お風呂の温かさ、お布団の肌触り

人から向けられるさりげない優しさ

うちらの周りにはそういう繊細な刺激が

じつはいっぱいある

でもアンテナが麻痺すると

その程度の刺激では満たされなくなるねん

だからだんだんと強い刺激で自分の心の穴を埋めようとする

お酒やタバコ

さらにはギャンブルとかドラッグとか

私も一時期は

毎日お酒(しかも結構な量)を飲まんと

ストレスや寂しさから自分を解放できへんかった

それくらいアンテナが麻痺してたんよ

そんな状態でお花の繊細な癒やしなんて受け取られへんやん

お花から受け取れるものがないってなると

「お花なんて手がかかるだけやん」

って思っちゃう

同じような人って結構いるんやないかな?

そういう人に

「いやいや、お花は手がかかるだけやなくて癒やしをくれるよ!」

なんて言うたところで

受け取るアンテナが麻痺してるんやから

ちょっと難しいんとちゃうかな?

って私は思うよ。

今日はこのへんで

続きはまた次回ね☆

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