私はお花が大嫌いだ(7)枯れていくお花は糠床のキュウリ?

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昔の私がお花が大嫌いやった理由

今日は「すぐ枯れちゃう」っていうお話。

不思議やわ

今の私は「すぐ枯れる」から

生のお花を選んでる。

ドライフラワーや造花には興味ないねん

長く変わらず残りつづけるものは

なんか面白くない

そして最初は好きでも

そのうち飽きて邪魔になる

生のお花は

私の「好き」がまだ残ってるうちに消えていってくれる

今の私にとって「すぐ枯れる」は

むしろお花を買う理由やねん

でも以前の私にとっては

「すぐ枯れる」はお花を買わない理由やった

一体何が変わったんやろ?

お花がすぐ枯れるのは今も昔も同じやから

変わったのは私やわ。

お花をめっちゃ嫌ってたころの私は

とにかく何者かになろう

そのために目に見える実績を、成果を「残して」自分の価値を証明しよう

って頑張って

それが思うようにいかず苦しんでた。

思うようにいかないからこそ余計に

「残す」ことへの執着は強くなった

お花が枯れるっていうことは

お花を買うために払ったお金も

お世話に費やした労力も

お花と共にした時間も

消えちゃうってことやん

「残す」ことに執着してた私には受け入れがたいわ。

当時の私の感情との付き合い方も関係してたと思う。

ネガティブな感情との付き合い方って

子どものころ教えられたのは

「我慢しなさい」「耐えろ」だけやったやん?

「感情は抑圧せず感じ尽くせば

昇華されて、消えるか別の感情に変わる」

って学んだのは

カウンセリングスクールに入ってからやわ

だから昔の私はネガティブな感情が出てきても

蓋をして抑え込んで感じないようにしてた

せっかく買ってきてお世話してたお花が枯れたら

いろんなネガティブな感情が出てくる

なんか損した気分、寂しさ、喪失感

そんなのが出てきたら

当時の私は蓋をして感じないようにしたいわけよ

ってか

どのお花を買っても枯れるのは確実で

こういうネガティブな感情を感じるのも確実なのであれば

最初からお花を買わないのが得策

ってことになるやん

だから「買わない」を選択したんやと思う。

ちなみに今の私は

ネガティブな感情が出てきても

蓋をせず感じきることができる

そしてじっくり感じてると気づくねん

お花が枯れて寂しいってことは

なんじゃかんじゃ言うて、そのお花を愛してたってことやん?

ああ、なんや私

ホンマはお花をもっと愛でたかったんやな

って。

(たぶん昔の私も心の深いところでは、そうやったんやと思う。)

だったらまたお花買いに行こうよ

ってなって

新しいお花を買いに行くねん

面白いね、真逆やね。

ところで

お花はすぐ枯れるから買わないっていう人たちに対して

「お花は枯れる姿も美しいよ」

とか

「お花は枯れるからこそ美しいんだよ」

って言う人いるやん

でもさあ

何を美しいと感じるかは人それぞれやからね。

それに前回も話したように

ストイックに頑張りすぎて心がやさぐれてると

美しさを受け取るアンテナが麻痺するねん

だから、普通に咲いてるお花でさえ

以前の私には美しいとは感じられへんかったわ

そんな私に枯れていくお花の美しさなんて

分かるわけがないw

枯れていくお花の美しさって

糠床のキュウリみたいなもんやねん(ん?急にどうした?)

ドロドロベタベタの糠のずっと奥のほうに

美味しいキュウリが漬かってる。

美味しいキュウリを掘り出すには

ドロドロベタベタの糠に手を突っ込まんとアカンやん

あれと同じで

お花が枯れていく様を見てると

いろんな感情や想いを感じることになる(これが糠)

なんか元気なくなってきたなあとか

もうすぐ終わっちゃうんかなあとか

色が褪せてきたなあとか

あんまり綺麗じゃなくなってきたかもとか

虚しいなあ、寂しいなあ、などなど

そんないろんなネガティブな感情を感じて

どんどん潜って、突き進んでいった先で

「ああ、でもやっぱり(だからこそ)

美しいなあ」

っていうところに行きつくわけやん(これがキュウリ)

でもさ

ネガティブな感情をとにかく感じたくなかった昔の私は

糠に手を突っ込むことさえできへんか

糠に手を入れれたとしてもドロドロベタベタの不快感に囚われて

それ以上進めなくなる

どっちにしても

「枯れていくお花の美しさ」(キュウリ)にはたどりつかへんわ

だから

「お花は枯れる姿も美しいよ」

とか

「お花は枯れるからこそ美しいんだよ」

っていう言葉は

私にはなんの説得にもならへんかった。

続きはまた次回

・・・やねんけど

「お花は枯れるからこそ美しい」っていう言葉に関して

ずっと前から私が思ってたことがあるねん

次回はちょっとそれを書くわ☆

>> 次回【(8)「花は枯れていくからこそ美しい」という言葉の耐えられない薄っぺらさ】はこちら

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