私はお花が大嫌いだ(5)お花のジレンマ

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昔の私がお花が大嫌いやった理由

今日は「実用性がない」っていうお話。

お花でご飯が炊けるわけやないし

お花でお部屋のお掃除ができるわけでもないし

お花で仕事の書類が作れるわけでもないよね

「当たり前やん」って笑われるかもやけど

実用的じゃないわ。

昔の私は実用的じゃないものにお金を使うのって

なんか無駄遣いな気がしてた。

うちの両親がそんな感じやってん

戦時中の

しかもすんごい貧乏な家に育った人らで

父は金融屋やったから

お金失って家潰しちゃう人の話をいっぱい聞かされて

無駄なものにお金を使うなって厳しく言われてた。

何をもって無駄というのか分からんけど

実用性のないものは無駄やと思ってたから

実用性のないお花も無駄やし

そんなのにお金を使うなんて無駄遣いやと思っててん。

それもあるんやけど

私自身

「役に立つ人間にならなきゃ」

「有能な人間にならなきゃ」

って思って周りと競争して生きてきた

だからもしかしたら私は

自分の無力さや無能さを

実用性のないお花に投影して

嫌ってたのもあるんかもしれへん。

両親ともに

プレゼントは実用品やないと喜ばへんかった。

うちの母はお花を贈っても喜ばへんねん

「こんなん、いらんわ〜」

って文句しか言わへん。

そんなとき私は

「母親を喜ばせることもできへん自分」

っていうのを感じるわけ

ここでもお花と自分の無力さが結びついて

ますますお花が大嫌いになってたのかも。

じゃあホンマにお花って役に立たへんのか?

っていうと

今の私なら「そんなことない」って言えるわ。

確かにご飯は炊かれへんし

お部屋の掃除にも仕事にも使えへんけど

お部屋に飾ってときどき目に入るだけで

心が深く深く癒やされる

日常生活を楽しく送るにも

生き生きと働くにも

心が健やかであることって重要やん

お花はそこに効くんよね。

でもさ

人生がうまくいってなかったり

ストイックになりすぎて

めっちゃめちゃ心がやさぐれてる人ほど

「こんな花に

私のこの苦しみを癒やすことなんてできるかあ!」

「心の癒やしやなんて

そんな生っちょろいもんで私の人生変わるかあ!」

って、お花にも心の癒やしにも価値を感じられへんねん

昔の私がそうやったように。

こういう人たちこそ

お花の癒やしが必要やのにね

これってすんごいジレンマやと思うわ。

今日はここまで

続きはまた次回☆

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